21世紀の資本主義社会について吾輩が思ふ事

世の中は資本主義社会である。何事にも値段がつき、競争を行っていく中で優勝劣敗が繰り返される残酷な世界である。

世界はそんなに甘くない

僕はそういった厳しい現実から目を背けたかった。みんな全員が仲良くしていられると思っていた。まさに頭の中がお花畑状態の少年時代を過ごした。待っていたのは競争に敗れた末の心身共に絶不調である。これのどこがWe are the world.なのだろうか。とんでもない事である。馬鹿正直に生きてみた結果がボロ雑巾な日常だ。

この残酷な競争社会で生きていく上でどうしたら人々は幸せになるのだろうか?競争を降りてお金という価値観を否定する事だろうか。ミニマリストや持たざる生き方、シンプルライフみたいな生き方をすれば良いのだろうか?僕には未だに完全なる答えは見つかっていない。

ただ言えるのは、この世の中では守る時は必死で守らないと大切なものは守れないし、戦う時はどんなにヤバい相手でも真正面から戦わなければならない時があるという事だ。そして、そういった世界の中で負けは言わばあらゆる意味での「死」を意味する。

不死鳥?いや、俺猫だし

それでも、人生には挽回のチャンスがたまにあって、それに乗ると一気にショートカットでビューンって目的地へ行けたりもする。資本主義の良い所は画期的な発明や成果を出せば何かが変わる瞬間があるという事。

僕の求めていたのは自由な暮らしだった。好きな時間に寝て起きて、好きな風にパソコンいじったり本を読んだり調べ物をする。体を鍛えて、頭を鍛える。そういったマイペースな暮らしがしたかった。

実は世の中にはそういったマイペースな暮らしをする為の方法が幾つかある。それは、経済的な価値観を捨てるか、経済的な価値観を全肯定するかだ。どういう事かと言うとお金を否定するか、お金が全てだと思うか。どちらかを取るという事である。

浮かばない日々を送っていた僕はお金なんて無くても良いと思っていた。仲間とか愛とか友情みたいなものがあれば良い、人生は心だとまで思っていた。自分で自分の事を洗脳していた。今はそういった考えが完璧にぶっ壊されている。

哀しくもお金が最強の手段であり、お金が全てだという拝金の世界へ僕は入ってしまったのだ。哀しみはきっと。そう、お金はお金を生み出す。又、「貨幣は鋳造された自由である」という言葉がある通り、お金は自由の象徴だ。僕はこれからもお金を目指す。

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