努力とは我慢であり、それをできる人間が求められている

努力とは我慢だと思う。今振り返れば学生時代の確かに部活動で身体を鍛える事も受験勉強も我慢の連続だ。別に身体を鍛えなくても、勉強ができなくても生きて行こうと思えば生きていけるかもしれない。ただ、社会のパーツとして認められにくくなるだけだ。

あの頃僕らは試されていた

僕達が何故、部活動をするか、受験勉強をするかと言うと、社会の会社員というパーツとして機能するかを試されているのだ。努力=我慢できて、多少のストレスでぶっ壊れないかという歯車になれるか、体力があるか、上の命令に従えるか等を試されていたのだ。

でも、それだけが全てでは無くて諦めてフラフラと生きるオプションや、起業やスモールビジネスなどの道へ行く人もいる。ただ、それに気付けずに死んでしまう人の方が多い。ちょっと悲しいなって思う。自殺大国、日本。

はみ出した僕らができる事

はみ出したけれども生き残った人ができる事と言えば、フラフラしてても割と生きていけるよ。という事や、周りの目を気にし過ぎても仕方ないよ。という事などだろうか。僕は今もフラフラしているし、それでも割と生きている。死にたい夜も沢山あったけれどもボンヤリと生きている。

暇人の先駆者として言える事としては、当たり前の事だけど正しい習慣をつけた方が良い気がする。体質に問題が無ければ毎朝きちんと起きるとか、栄養を考えて食べるとか、酒や煙草をなるべくしないとか、そういう事。そういう事ってどっぷりハマると生活やメンタルに支障が出る印象。

毎日きちんと歩いて運動して、酒とかお菓子をやめてタンパク質と野菜中心の暮らしにしたら、やはり気持ちがブレるのが減った気がする。

とりあえず生きるに切り替えよう

そりゃあ苦しい事もあるけれども、迷ったら「とりあえず生きる」に切り替えた方が良い。僕も先述した通りやばい時は何度もあったし、これからもあるだろうけれども、そういう日々を越えて行かないといけない。その為にはあらかじめ先回りした動きを取るのがきっと良い。お金に余裕を持つとか、健康に余裕を持つとか、人間関係を大切にするとか。ああ、何か当たり前の事しか書けないけど本当にそう思う。

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