幸せの形についての再考

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幸せとは結果的にあるものだと思うのだけれども、幸せってそもそもなんだろうって思う。なりたい自分でいられるとか、あるべき自分でいられるとかそういったものだろうか。身近な人が楽しく生きているとかが幸せだろうか。僕はやりたい事をやって、嫌な事をしないでいられるのが僕にとっての幸せかなとは思う。

別に有名にはなりたくない。権力や名誉にも興味は無い。ただ、リアリストなので生活のお金と莫大な時間が欲しい。ただそれだけを望んでいる気がする。無名人でもお金と時間があって、後はまぁそれなりにパラメーターが平均前後くらいあれば人生楽しめるのではないかな。

僕はスポーツは上手ではないし、楽器は弾けないし、創作も殆ど駄目でせいぜい駄文を書き続けるくらいしかできない。ただ生活できるくらいの余裕と時間は沢山あるから、テキトーに自由研究の如く日々を過ごしていけたら良いなとは思う。

もっと世間の評価にさらされないような世界へ移住出来たら幸せになれるかもしれない。自然が豊かな沖縄にでも移住して毎日オリオンビールを飲んで海を眺めて暮らすのが密かな夢ではある。

どこから見ても消極的自由的な発想なのだけれども、仕方が無い。年も取ると現実は見えてくる。今からプロ野球選手にはなれないし、女子アナと付き合ったりも出来ない。音楽で成功してメジャーデビューも難しい。だったら、ノンビリとフラフラできるのが最高という事になってしまう。

朝起きた瞬間に今日は何をしようかな?と思えるくらいの毎日が丁度良い。

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