想いを表現する癖をつけた方が良い気がする。

スポンサーリンク

たまに話していて思う事がある。この人、何かを発言しているけど凄く場の空気を読んでいたりして本音が見えない。そういう人とは大体僕はトラブルになる。仮に主張が強い人と出会った場合は、例え相性が悪くても何だかその人は信頼できる。仮に仲良しになれなくてもそういう在り方を取るのだなというのがわかっている人の方が安全だ。

綺麗な言葉よりも行動を見る

割と綺麗な言葉を沢山使う人がいる。綺麗事は嫌いじゃない。だけど、行動が伴っていない場合はなんだか残念な気持ちになる。八方美人タイプの人間に多いのだけれども、敵を作らないようにしているあまり仲間も出来なくなるパターンだ。

よく本当の仲間が欲しかったら敵を作れという言葉を聞く。それはきっと自分の立ち位置や在り方を表明する事にならない。例えば僕はそこまでハードに働きたくない、トータルで人生が回れば良い、自由が好き、本が沢山読める暮らしがしたい・・・etc。と色々と発言しているのだが、これは一種の自己主張だ。

自己主張は当然ながらリスクを伴う。いやいや、もっとハードに働いて頑張ろうよとか、人生はこれをやって当然の事柄があるよとか、自由じゃなくてもやるべき事をやる方が大切、本なんて不要という人もいるに違いない。それはそれで勿論良い。困るのは表面上は合わせてくるのに本音が違う場合だ。

もっと本音を出そう

いや、僕は安定が一番ですとか、社会的立場を尊重したいので結婚も就職も大事だと思いますとか、そういうのは全然良い。その人の価値観だからノープロブレムである。だけど、口先では僕も自由になりたいんすよとか新しい働き方をしたいとか起業をしたいんすよとか言ってる人に限って今のポジションから1mmも動かなかったりする。すると腹の内が読めなくなる。

本心では安定が欲しいのであれば、僕は安定が欲しいからこういう働き方、生き方、在り方を取っているのですよと言ってくれれば良いのに、下手に迎合してくるから混乱する。理想はこうだけれども、現実はこうなってしまったという事もあるかもしれない。ただ、それはそれで良いのだが、不満があるにせよ勝手に飲み込むか同じ境遇の人同士で話し合えば良いのにと思う。

僕の考えや在り方では、若くして変にリタイアしてもつまらなさそうだし、どうせ可能性として生涯働く必要性があるのだから、常にキャリアアップやスキルアップを考える事、お金や健康管理を重要にするなど色々とあるのだが、人によっては一度何かのポジションに就いたら安定だからもう頑張らないという人もいるみたいだ。そういう人とは僕は話が合わない。

想いを表現する

もっと皆言いたい事を言えば良いと思う。当然、お互いの違いを尊重し合った上で、多少はオブラートに包むような表現力などは必要かもしれないけれども。ああ、あなたはそう考えるのですね、僕はこう思っていてこういう風に生きています。そう言い合えないから説教されたとか説教したとかみたいな変な話になる。非常にナンセンスである。

年を取れば取るほど新しい価値観や自分と違う在り方に対して鈍感になるようで、申し訳ないけれども年配の方程、傾向としてはそういった理解力が乏しいと僕は思っている。勿論、そうでない方もいるのだけれども、もっと自分の居場所以外の世界や在り方を人々が認め合えたら素敵だなと思う。

要は自分の意思表示を日常からする訓練が大切なのだと思う。そういった事を怠ると段々人は何の為に生きているかわからなくなるし、自分の価値観や考えがブレブレになる。繰り返すが、僕はそこまでハードに働くつもりは無く、人生の3割くらいの仕事だくらいの気持ちだけれども、それでも微力でも社会参加や社会貢献は考えている。

ただ僕自身は自分のペースでいたい我がまま野郎と思われるかもしれないけれども、そういう生き方や働き方、在り方があっても良いのではないだろうか。最近はそのように僕は考えている。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする