完璧なる普通を目指すは難しい、異常や差異は個性である。

かつて完璧なる普通みたいなものに憧れていた。平均くらいの見た目、平均くらいの身長、平均くらいの体重、平均くらいの稼ぎなど、そしてどれも少しだけプラスに働くくらいの余裕を持つ。そういう生き方に憧れた。でも、今となって思う。普通でいる事は非常に難しい。

真昼間から私服でふらふら

吾輩は暇である。真昼間から私服でふらふらできる身分である。これは普通では無いからできる。普通の人はスーツ姿で満員電車に揺られて嫌な人間関係に揉まれて生きている。僕は普通を捨てたのだからこういうオリジナリティのある生き方や働き方を掴めた。

正直言って、こういうライフスタイルになれてしまうとよく言われる安定とかいうものに興味が無くなる。安定していて得なのは安定を望む相手と結婚しやすくなる事と、住宅ローンが組みやすくなる事くらいだと思う。だけれども、安定はストレスが溜まる。

不安定は自由だ

極端な事を言えば、不安定は自由だと思う。束縛されないからだ。勿論、何か大きく間違えたら人生がまた真っ逆さまに陥るかもしれない。そうならない為に細心の注意を払って生きているつもりではある。

普段から声を大きくして言っているが、これからはストックが効く物事を重視できる人が強い。従来の資本主義の主役だった不動産や金融資産、それに加えてWEB上でのコンテンツや影響力も一種のWEB資産として効果が高いと思う。

不動産や金融資産、WEB資産の運用を中心に据えて生きる。それは普通の人にはできないであろう荒業である。自由人の片道切符を手にした者だけが挑戦できる世界観なのだが、多くの人はこの事柄に気付けないし、気付けても挑戦すらしない。

普通でいるというのは今後伸びるかもしれない定年までストレスフルに働く事だ。勿論、そういう人がいるから社会は回る。尊い事ではある。でも、僕自身はそれをやりたくないからやらない。敢えてリスクを取り差異を作る。

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