それでも人生にイエスと言えるか?

アウシュビッツの中で生と死の境目を見たヴィクトール・フランクルの本に「それでも人生にイエスと言う」というタイトルの本がある。「夜と霧」で有名な作家なのだが、こちらの本でも同じような極限状態から生還した人間ならではの人間模様が描かれていた。よく一人の人間が何かで成功するには病や大怪我、身内の不幸、会社の倒産などなど様々な極限状態を経験したか否かという事が重要視されるという言論を見かける時があるが、確かに極限状態を見た人間にしかわからない世界観はあると思う。

僕には僕なりの極限状態に陥った時があった。10代の終盤の頃に調子を崩してしまい絶望的な状況下に陥ったのだが、その中で様々な事を知った。落ち目の人間からは友人や愛する人は離れていくという事。今となって思う事なのだが、簡単に人は人を裏切るという事。悲しいけれども、それが現実だと思う。落ち目になってしまった人間からはそそくさと離れていく。そして、時は流れた。

それでも人生にはイエスと言うしかない

不調になり死にたくなった時は何度もあった。特に様々な事柄が回復途中の中では哀しみが拭い切れなかった。今僕は普通に生活をできているし、経済的にも豊かになったに違いない。ただ、残ったのは少年期の終わりに多くの人に落ち目になった時に裏切られたという記憶。

ただ、言えるのはそれでも全てを諦めずにいたから人生を変えるチャンスは来たし、チャンスをつかむ事ができたからこそ呑気にフラフラと暮らせている。ああ、全ては運だと言えば、そこまでかもしれない。人は一瞬で色々な事がひっくり返る時がある。オセロで白が殆ど黒になったと思ったら再び黒が白にひっくり返る時もある

例えば、今元気な人も交通事故に遭えば一瞬で人生はひっくり返るだろうし、勤め先の会社が潰れたら一発で不利な状況に陥るだろう。年齢や職種によっては職能が無いので時給900円のアルバイトまで生活水準は落ちるだろう。

だが、どのような逆境に置かれても諦めた時点で終わりなのである。ネバーギブアップのマインドを持てるかどうか。自分自身が己の在り方にイエスと言えるようになるのには少なくとも10年はかかった。10年我慢できるかどうかというのはとても大変な事だけれども、それでも進むしかない。

今でも僕は問題が山積みの中歩んでいる。ただ、それでも己の人生にイエスと言うしかなかろうという事で自分を奮い立たせて生きている。

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